アルセーヌ・ルパンの年譜

1874年( 0歳 )
 アルセーヌ・ルパンが父テオフラスト・ルパン、母アンリエット(旧姓アンドレジー)の子として生まれる。本名ラウール。
 父親のテオフラストは拳闘やフェンシングの教師で平民だったという。
 『アルセーヌ・ルパンの逮捕』の中で「アンドレジーの一族は、もともとポワティエ地方の名家だった」との記述がある。
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 (備考)
 同年に誕生した著名な人物では、イギリスの宰相ウィンストン・チャーチルや、ジョゼフ・ルールタビーユ(ガストン・ルルーの小説で活躍する青年探偵)らがいる。  

1877年( 3歳 )
 父テオフラストがアメリカで詐欺罪を働き獄死。
 アンリエット、ラウール母子はドルー・スービーズ伯爵家に引き取られる。
 以後、3年間、アンリエットは邸内から4度しか外出しなかったという。
 ※『王妃の首飾り』では、アンリエットは「伯爵夫人の修道院時代の友だち」とあり、『カリオストロ伯爵夫人』では、「ドルー・スービーズ公爵は遠縁の従兄」との記述がある。

1880年( 6歳 )
 ドルー・スービーズ伯爵家から『王妃の首飾り』を盗み出す。
 4か月後、事件は迷宮入りとなり、母子は邸内から追い出される。
 『王妃の首飾り』事件は、カスティーユ宮殿でのクリスティアン王(デンマーク国王、9世)のための歓迎会の翌日に起こったという。  

1881〜1885年( 7〜11歳 )
 12歳までの6年間、ラウールは『王妃の首飾り』の宝石を売りながら、母親宛てに秘密に送金する。
 暮らしていた場所は、「片田舎」との記述があるだけで、詳しいことはわからない。 

1886年( 12歳 )
 母アンリエットが死亡。ラウールは乳母ヴィクトワール・エルヌモンに育てられる。 

1888年( 14歳 )
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 (備考)
 6月15日、ドイツにてヴィルヘルム2世が皇帝に即位する。

1889年( 15歳 )
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 (備考)
 2月4日、パナマ運河会社が倒産し、104人の大臣・代議士らの収賄が問題となる。(『水晶の栓』のモデルとなった事件)
 4月1日、ブーランジェ将軍のクーデターが未遂に終わり、ベルギーに亡命する。 

1891〜92年( 17〜18歳 )
 この頃、ヴィクトワールと一緒に写真を撮る。
 この写真はのちにゲルシャール警部(ガニマール警部の戯曲上での名前)の手に渡る。(『ルパンの冒険』参照)
 その後、ラウールはパリに出て、モンマルトルに住んだらしい。

1893年( 19歳 )
 冬、『マダム・アンベールの金庫』事件で、初めて「アルセーヌ・ルパン」の名を用いる。
 この事件に8か月間、掛かり切りになる。 

1894年( 20歳 )
 1月、クラリス・デティーグと南フランスで知り合う。
 4月12日、カリオストロ伯爵夫人と出会う。
 8月、ラウールはカリオストロ伯爵夫人と対決し、勝利のすえ、クラリスと結婚する。
 その後、ラウール・ダンドレジー子爵を名乗り、ヨーロッパ漫遊の旅に出る。
 ※『カリオストロの復讐』では、ラウール・ド・リメジーとして、クレール・デティーグと結婚したとの記述がある。
 この年、妻のクラリスが女児を死産する。
 また別の女性(名は不明)とのあいだに、娘・ジュヌヴィエーヴが生まれる。母子はアスプルモンに在住する。 

1895年( 21歳 )
 手品師ディクソンの助手としてロスタを名乗る。(逮捕より8年以前)
 ※『結婚指輪』では、ピックマンのところで6か月間、手品の修行をしたという。 

1897年( 23歳 )
 サン・ルイ病院内のアルティエ博士の実験室に、ロシア人の学生として18か月間出入りする。(逮捕より6年以前)
 5月14日、慈善バザー会場で大火事が発生。この火事でルパンは多数の人を救済し、また彼らから盗み取ったという。 

1898〜99年( 24〜25歳 )
 この頃、パリにて日本流の格闘の師範として身を立てる。
 妻クラリスと結婚してから5年間、強盗の仕事を妻に知られずに続ける。
 また、「エギュイーユ・クルーズ」(奇岩城)の謎を解き、発見する。
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 (備考)
 7月30日、ドイツ帝国元宰相オットー・ビスマルク没。 

1900年( 26歳 )
 妻クラリスが男子ジャンを産むが、産後の肥立ちが悪くて死亡する。翌々日、ジャンが行方不明となる。
 世界大博覧会(4.14〜11.12)で競輪選手として大賞金1万フランを得る。
 マケドニアで親戚のいとこベルナール・ダンドレジー伯爵が死亡し、のちにその名を利用する。
 この年、「アルセーヌ・ルパン」として活動を始める。
 この頃の「語られざる事件」として、ショルマン男爵家事件、リヨン信用銀行盗難事件、バビロン街の泥棒、偽札の発行、保険証偽造事件、アルメニル城事件、グーレー城、アングルバン城、グロズリエ城などの強盗事件などがある。  

1901年( 27歳 )
 娘のジュヌヴィエーヴをアスプルモンから連れ出し、モンテギュのイズロー夫婦に預ける。
 マクシム・ベルモンの偽名で建築家デタンジュ氏の知遇を得、パリにてアジトの建設に乗り出す。
 9月下旬、アンギアン事件に介入し、以後6か月間、『水晶の栓』事件に掛かり切りになる。 

1902年( 28歳 )
 3月12日(火)、部下のジルベールを断頭台から救い、『水晶の栓』事件を解決させる。
 その後、ジュスタン・ガニマール警部によって、全ヨーロッパ中を舞台にして負われる身となる。

1903年( 29歳 )
 アンドレジー伯爵の名でアルジェリアを旅行し、6週間、ジャック・ダンボワズの家に滞在する。
 ルイ・ヴァルメラの偽名でクルーズ県エギュイーユ城を購入。乳母のヴィクトワールを住まわせる。
 ガニマールとの「派手な経過をたどった命がけの決闘」によって右腕を負傷する。
 プロヴァンス号事件。ニューヨークでガニマール警部によって逮捕される。
 9月15日(金)〜10月6日(金)、カオルン男爵事件。
 ルパンがラ・サンテ刑務所に拘禁中、「エコー・ド・フランス」紙がルパンの公式通報機関であると世間に噂される。 

1904年( 30歳 )
 1月、ラ・サンテ刑務所から8番目の偽名デジレ・ボードリュを名乗り脱獄する。
 2月?、パリ-ル・アーヴル間列車強盗事件。殺人犯ピエール・オンフレーの逮捕で警察に協力する。
 この年の冬、『結婚指輪』事件か?
 モンティニー、グリュシュ、クラヴィルなどの強盗事件。
 5月?、ティベルメニル城事件で初めてシャーロック・ホームズと出会う。
 ※ティベルメニル城事件は、パリ発ル・アーヴル行き急行列車襲撃事件より3か月後だという。
 6月?、オッシュ通り事件。
 6月22日〜7月、『ハートの7』事件。モーリス・ルブランが初めてアルセーヌ・ルパンと出会う。
 8月7日(水)、シャルムラース城館盗難事件。
 12月?、オッシュ通り事件から6か月後、殺人犯から『黒真珠』を奪い返す。
 この年から翌年にかけての冬のある夜、ルパンはルブランにいくつかの犯行と冒険の打ち明け話をする。  

1905年( 31歳 )
 この年の前半を南極探険に費やし、シャルムラース公爵に出会う。公爵の死後、その名跡を継ぐ。
 秋、『麦わらのストロー』事件。
 10月〜11月、デュグリヴァル事件。
 11月28日〜12月28日、『赤い絹の肩掛け』事件。
 この頃、ロンドン、ローザンヌの押し込み強盗事件、マルセイユの子供すり替え事件などを計画していたという。
 12月1日〜2日、モウペルテュイ事件。
 12月9日、ジェルボワ教授宅から「ナポレオンの机」を盗み出す。
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 (書誌情報)
 7月15日、ルブラン、「ジュ・セ・トゥ」6号に『アルセーヌ・ルパンの逮捕』を発表する。この頃までに20回ルパンと会っているという。
 12月5日、「ジュ・セ・トゥ」11号に『獄中のアルセーヌ・ルパン』を発表。

1906年( 32歳 )
 2月1日〜3月12日(木)、23組514号宝くじ事件。
 3月27日、オートレック男爵殺人事件。
 4月10日、フロリアーニの偽名のもとに『王妃の首飾り』事件の真相を明かす。
 4月15日、ルブラン、「三つの絵の謎」についてルパンに調査を依頼する。
 8月10日、クロゾン伯爵邸青ダイヤ盗難事件。
 10月、青ダイヤの盗難をめぐってシャーロック・ホームズと対決する。
 その後、ルパンはクールヴォー通りのアジトを引き払い、「神聖不可侵の隠れ家」(奇岩城)に移る。
 同じ頃、ヴィクトワールをグルネイ・マルタン家の家政婦として雇わせる。
 アルメニアに旅行し、赤いサルタンに対して死闘を挑む。
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 (書誌情報)
 1月15日、ルブラン、「ジュ・セ・トゥ」12号に『アルセーヌ・ルパンの脱獄』を発表。
 2月15日、「ジュ・セ・トゥ」13号に『不思議な旅行者』を発表。
 4月15日、「ジュ・セ・トゥ」15号に『王妃の首飾り』を発表。
 5月15日、「ジュ・セ・トゥ」16号に『マダム・アンベールの金庫』を発表。
 6月15日、「ジュ・セ・トゥ」17号に『遅かりしシャーロック・ホームズ』を発表。
 7月15日、「ジュ・セ・トゥ」18号に『黒真珠』を発表。
 11月15日〜翌年4月15日、「ジュ・セ・トゥ」22〜27号まで『ブロンドの貴婦人』を連載。

1907年( 33歳 )
 シャルプネーの偽名を用い、5か月の間、ジェーヴル伯爵邸でルーベンスの4枚の絵を模写する。
 また一方で、エティエンヌ・ヴォードレクスの名も使用する。
 4月15日、『影の合図』事件、解決する。
 5月、ジャック・ダンボワズの偽名のもとにアンジェリック・ド・サルゾー・ヴァンドームと結婚する。
 ※『ルパンの結婚』事件の後、ルパンはルブランと会い、『水晶の栓』、『ルパンの結婚』の話を物語る。
 6月、『ユダヤのランプ』事件で再びシャーロック・ホームズと対決。
 この頃、『山羊皮服を着た男』事件発生か?
 夏?、ルプステン男爵事件。
 ルパンは夏の間、アンフレディ男爵の名で、エギュイーユ城に避暑したという。
 7月〜8月、英国大使館夜会事件、財務省の大金庫破り、レピーヌ氏邸強盗事件(以上3つの事件は1週間のうちに発生)、ダレイ貯蓄銀行事件などを手がける。
 9月3日(日)〜5日(火)、「ランバール大公夫人の宝冠」盗難事件。
 この後、ルパンはソニア・クリシュノフと駆け落ちし、6か月間、スパルミエント大佐になりすます。
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 (書誌情報)
 5月15日、「ジュ・セ・トゥ」28号に『ハートの7』を発表。
 6月10日、短編集「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」ラフィット社から刊行。
 7月15日〜8月15日、「ジュ・セ・トゥ」32〜33号まで『ユダヤのランプ』を連載。

1908年( 34歳 )
 2月?、『白鳥の首のエディス』事件。
 その後、『奇岩城』の中での記述によれば、ソニアは「悲惨な死」を遂げたという。
 この頃、フランス南部の教会荒らし(トマ一味の犯行)、ルーヴル博物館事件、なども手がけたという。
 4月23日(木)、アンブリュメジー事件。ルパンは負傷し、40日間、レイモンド・ド・サンヴェランに看護される。
 7月13日、ルブラン邸でルパンとイジドール・ボートルレが面会する。
 10月、ルイ・ヴァルメラスの偽名のもとにレイモンドと結婚する。
 11月、イジドールの活躍で、ルパンはエギュイーユ・クルーズ(『奇岩城』)を放棄し、逃走中、レイモンドはシャーロック・ホームズに射たれて死亡する。
 この年、娘のジュヌヴィエーヴをモンテギュから連れ出し、ヴィクトワールに預ける。
 また、カリオストロ伯爵夫人がコルシカ島に移住し、フォスチーヌ・コルチナと知り合ったという。
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 (書誌情報)
 2月10日、長・中編集『ルパン対ホームズ』刊行。
 10月28日、『戯曲アルセーヌ・ルパン』パリのアテネ座にて上演。(この作品は戯曲なので年齢、人物などに脚色があるようだ。)
 11月15日〜翌年5月15日、「ジュ・セ・トゥ」44〜52号まで『奇岩城』を連載。

1909年( 35歳 )
 ラウール・ド・リメジー男爵の名でチベットや中央アジアを探険する。この時、サイゴンでルノルマン氏の死亡証明書を入手か?
 4月26日(月)〜10月、『緑の目の令嬢』事件。
 この後、ルパンはルノルマンとして警視庁に勤務か?
 『813』ではルパンは4年間、国家警察部長の地位にあったという。
 ※『奇岩城』事件以後、ガニマール警部の名が『数十億フラン』まで出てこない。この時期に引退したのだろうか?
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 (書誌情報)
 5月、『戯曲アルセーヌ・ルパン』をラフィット社から刊行。
 6月、『奇岩城』をラフィット社から刊行。  

1910年( 36歳 )
 ルノルマンとして「ビスクラの三人のスペイン人事件」を解決し、ボルドー市警察署長、次いで国家警察部次長となる。
 9月5日(土)〜12月5日(木)、セルジュ・レニーヌ公爵の名でオルタンス・ダニエルと八つの事件を解決する。
 9月以降?、国家警察部長デュドゥイ氏の死後、その後任としてルノルマンの名で部長に昇進。
 その後、ドニズー事件、リヨン信用銀行盗難事件、オルレアン行き急行列車襲撃事件、ドルフ男爵殺害事件、ルーブル宮放火事件などを解決する。     ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
 (書誌情報)
 3月5日〜5月24日、『813』を『ル・ジュールナル』紙に連載。
 6月、『813』をラフィット社から刊行。
 ※『813』事件は、『奇岩城』事件より4年後との記載があり、『虎の牙』にも「第一次大戦の2年前」(1912年)の出来事としている。作品の方が事件よりも先行しているようだが・・・?

1911年( 37歳 )
 警視庁に勤務するかたわら、ラボルド街でジム・バーネットを名乗り、探偵社を開業。
 ジャン・デヌリス男爵の名で『エメラルドの指輪』事件を解決する。
 この年、ルブランはルパンと会い、『結婚指輪』、『白鳥の首のエディス』の話を聞いたらしい。
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 (書誌情報)
 4月15日、「ジュ・セ・トゥ」75号に『太陽の戯れ』を発表。
 5月15日、「ジュ・セ・トゥ」76号に『結婚指輪』を発表。
 6月15日、「ジュ・セ・トゥ」77号に『影の合図』を発表。
 7月15日、「ジュ・セ・トゥ」78号に『地獄の罠』を発表。
 8月15日、「ジュ・セ・トゥ」79号に『赤い絹の肩掛け』を発表。
 9月15日、「ジュ・セ・トゥ」80号に『うろつく死神』を発表。
 9月15日〜10月15日、1幕の戯曲『アルセーヌ・ルパンの冒険』をミュージックホール「ラ・シガール座」にて上演。  

1912年( 38歳 )
 4月16日(火)、ケッセルバッハ殺人事件。(『813』事件)
 6月、ポール・セルニーヌ大公、ルノルマン警察部長などの一人三役が明るみになり、再び逮捕され、ラ・サンテ刑務所に収監される。
 この頃までに手がけた犯罪は344件だという。
 8月21日、獄中でドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と会見する。
 10月頃?、ルパンは『三つの罪』を犯し、自殺を謀るが生き延び、フランス外人部隊員ドン・ルイス・ペレンナとしてモロッコで活躍する。
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 (書誌情報)
 9月25日〜11月9日、「ル・ジュールナル」紙に『水晶の栓』を連載。
 11月15日、「ジュ・セ・トゥ」94号に『アルセーヌ・ルパンの結婚』を発表。
 12月、『水晶の栓』をラフィット社から刊行。
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 (備考)
 1月14日、レイモン・ポワンカレ内閣成立。(※「ヴァラングレー」のモデルになった人物。)
 3月30日、フランスがモロッコとフェズ条約を結び、保護領とする。
 4月、リオティ将軍がモロッコに派遣され、平定工作と植民地化に着手する。  

1913年( 39歳 )
 ルパンの偽装死亡から1年後、司法当局は失踪中の「ブロワ生まれのフロリアーニ」をルパンの正体であると確認したという。
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 (書誌情報)
 1月15日、「ジュ・セ・トゥ」96号に『麦わらのストロー』を発表。
 2月15日、「ジュ・セ・トゥ」97号に『白鳥の首のエディス』を発表。
 6月、『ルパンの告白』をラフィット社から刊行。
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 (備考)
 2月18日、ポワンカレ、大統領に就任(〜1920年1月)。

1914年( 40歳 )
 11月、スペイン宮廷に依頼されてパリに戻り、「秘密の使命」を遂行する。
 12月、ルパンはブロネの野戦病院でポール・デルローズ中尉に会い、『オルヌカン城の謎』についてヒントを与える。
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 (備考)
 8月1日、第一次世界大戦勃発し、フランス政府は総動員令を発令する。
 9月12日、ジョッフル将軍がマルヌの戦いでドイツ軍を破る。

1915年( 41歳 )
 2月、ルパンはトルコの諸党派に、連合国との単独講和を考慮させたという。(交渉自体は失敗する。)
 4月3日〜16日、『金三角』事件。
 夏、モロッコにてベルベル族の捕虜となるが、機知によって窮地を切り抜け、部族の首領となる。
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 (書誌情報)
 9月7日〜11月7日、『砲弾の破片』(邦題『オルヌカン城の謎』)を「ル・ジュールナル」に連載。
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 (備考)
 4月26日、イタリアが三国同盟を離脱し、連合国側について対独参戦することを取り決めたロンドン条約が調印される。『金三角』事件で回収された三億フランは、このときイタリアに借款として支払われたという。

1916年( 42歳 )
 この年、モロッコ南部からコンゴに至る「モーリタニア帝国」を建設し、「皇帝アルセーヌ1世」として即位する。平定まで15か月かかったという。
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 (書誌情報)
 6月13日、『砲弾の破片』をラフィット社から刊行。

1917年( 43歳 )
 5月〜6月、『三十棺桶島』事件。
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 (書誌情報)
 5月21日〜7月26日、『金三角』を「ル・ジュールナル」に連載。

1918年( 44歳 )
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 (書誌情報)
 4月19日、『金三角』をラフィット社から刊行。
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 (備考)
 11月11日、連合国軍、ドイツと休戦し、第一次世界大戦終結。

1919年( 45歳 )
 3月31日(木)〜6月11日、『虎の牙』事件。
 事件解決後、ルパンは「モーリタニア帝国」をフランスに引き渡し、ドン・ルイス・ペレンナの名でフロランス・ルヴァッスールと結婚する。
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 (書誌情報)
 6月6日〜8月3日、『三十棺桶島』を「ル・ジュールナル」に連載。
 10月11日、『三十棺桶島』をラフィット社から刊行。

1920年( 46歳 )
 ジャン・デヌリス子爵として自動艇で世界一周をしたという。
 『謎の家』事件。
 7月、事件解決後、ルパンはアルレット・マゾールを連れ、老乳母ヴィクトワールを伴って船旅に出る。
 その後、ルパンはヴィクトール・オータンとして警視庁に勤務か?
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 (書誌情報)
 8月31日〜10月31日、『虎の牙』を「ル・ジュールナル」に連載。
 9月15日〜10月15日、『アルセーヌ・ルパンの帰還』を「ジュ・セ・トゥ」117〜118号に連載。  

1921年( 47歳 )
 6月〜9月、ラウール・ダヴナック子爵として、『バール・イ・ヴァ荘』事件を解決する。
 6月〜8月1日、サーカスの女座長ドロテが In robore fortuna の銘文の謎を解く。(『綱渡りのドロテ』参照。)
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 (書誌情報)
 6月3日、『虎の牙』をラフィット社から刊行。

1922年( 48歳 )
 6月4日〜7月3日(水)、『二つの微笑を持つ女』事件。
 事件から6か月後、ボロスチリア王妃オルガが王位継承者を出産したという。(ルパンの子か?)
 8月、ドルサック城館事件でルースラン予審判事が事件を捜査する。(『赤い数珠』参照。)
 月日不詳、特捜班のヴィクトール刑事として国防債券事件を捜査する。
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 (書誌情報)
 12月17日〜22日、『塔のてっぺんで』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 12月22日〜27日、『水瓶』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 12月27日〜翌年1月1日、『テレーズとジェルメーヌ』を「エクセルスィオール」紙に発表。

1923年( 49歳 )
 7月、ル・ヴェジネの惨劇事件。息子とおぼしき青年フェリシアン・シャルルと出会う。
 ルパンは事件解決後、1年以上旅行に出かけたという。
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 (書誌情報)
 1月2日〜6日、『映画の啓示』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 1月7日〜12日、『ジャン・ルイの場合』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 1月12日〜17日、『斧を持つ貴婦人』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 1月17日〜22日、『雲の上の足跡』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 1月24日〜28日、『メルキュール骨董店』を「エクセルスィオール」紙に発表。
 1月28日〜3月16日、『綱渡りのドロテ』を「ル・ジュールナル」紙に連載。
 8月、『八点鐘』をラフィット社から刊行。
 12月10日〜翌年1月30日、『カリオストロ伯爵夫人』を「ル・ジュールナル」紙に連載。  

1924年( 50歳 )
 3月〜10月20日(火)、オラース・ヴェルモンの名でマッカラミー事件を解決する。
 11月?、ルパンはフランスに帰国後、コート・ダジュールに屋敷を構え、フォスチーヌ・コルチナと再会する。
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 (書誌情報)
 4月、『カリオストロ伯爵夫人』をラフィット社から刊行。  

1925年( 51歳 )
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1926年( 52歳 )
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 (書誌情報)
 12月8日〜翌年1月18日、『緑の目の令嬢』を「ル・ジュールナル」に連載。  

1927年( 53歳 )
 5月8日、ネリー=ローズがジェラールと出会い、「バラトフ殺人事件」に巻き込まれる。(『真夜中から七時まで』参照。)
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 (書誌情報)
 5月、『山羊皮服を着た男』を「フランスの作家によって書かれた愛」(アンソロジー)に掲載。
 6月29日、『緑の目の令嬢』をラフィット社から刊行。
 10月、『したたる水滴』を「レクチュール・プール・トゥース」に発表。
 11月、『ベシューの十二枚のアフリカ株券』を「レクチュール・プール・トゥース」に発表。  

1928年( 54歳 )
 4月〜7月、ナタリーがエレン・ロック男爵と出会い、「海賊ジェリコ事件」に巻き込まれる。(『ジェリコ公爵』参照。)
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 (書誌情報)
 1月、『偶然が奇跡を作る』を「レクチュール・プール・トゥース」に発表。
 6月、『バーネット探偵社』をラフィット社から刊行。
 6月25日〜7月31日、『謎の家』を「ル・ジュールナル」に連載。  

1929年( 55歳 )
 『謎の家』刊行に際して、「未発表回想録の抜粋」として序文を寄せる。
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 (書誌情報)
 3月13日、『謎の家』をラフィット社から刊行。
 7月20日〜8月25日、『ジェリコ公爵』を「ル・ジュールナル」に連載。

1930年( 56歳 )
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 (書誌情報)
 8月8日〜9月15日、『バール・イ・ヴァ荘』を「ル・ジュールナル」に連載。
 11月15日、『エメラルドの指輪』を「政治・文学紀要」に発表。

1931年( 57歳 )
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 (書誌情報)
 6月17日、『バール・イ・ヴァ荘』をラフィット社から刊行。
 10月26日〜12月5日、『真夜中から七時まで』を「ル・ジュールナル」に連載。  

1932年( 58歳 )
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 (書誌情報)
 6月6日〜8月20日、『二つの微笑を持つ女』を「ル・ジュールナル」に連載。
 11月21日〜12月31日、『赤い数珠』を「ラ・ヴォロンテ」紙に連載。

1933年( 59歳 )
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 (書誌情報)
 4月、『二つの微笑を持つ女』をラフィット社から刊行。
 6月17日〜7月15日、『特捜班ヴィクトール』を「パリ・ソワール」紙に連載。
 9月、『特捜班ヴィクトール』をラフィット社から刊行。
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 (備考)
 1月30日、ドイツでアドルフ・ヒトラーを首相とするナチス政権が発足。  

1934年( 60歳 )
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 (書誌情報)
 7月、『赤い数珠』をラフィット社から刊行。

1935年( 61歳 )
 『カリオストロの復讐』刊行に際して前書きを寄せる。
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 (書誌情報)
 7月、『カリオストロの復讐』をラフィット社から刊行。  

1936年( 62歳 )
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1937年( 63歳 )
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1938年( 64歳 )
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1939年( 65歳 )
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 (書誌情報)
 1月10日〜2月11日、『アルセーヌ・ルパンの数十億フラン』を「オート」紙に連載。
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 (備考)
 9月1日、ドイツ軍、ポーランドに侵攻する。
 9月3日、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦始まる。  

1940年( 66歳 )
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 6月14日、パリ、ドイツ軍によって陥落し、第三共和政が崩壊する。
 7月10日、ペタン元帥、国家主席に就任し、ヴィシー政府成立。

1941年( 67歳 )
 11月6日、ルパンの伝記作者モーリス・ルブランが死去。
 アルセーヌ・ルパンはまだ存命か?
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 (書誌情報)
 11月、『アルセーヌ・ルパンの数十億フラン』がアシェット社から刊行される。  



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